瀬頭酒造
寛政元年、初代瀬頭多次兵衛が「丸平正宗」の銘柄で創業。以来二百余年、連綿と受け継いできました。大正9年に株式会社となる。法人化をきっかけに当時の首相原敬による命名「東長」を発売し、 以来ずっと、その名に恥じぬよう酒造りを続けています。
原敬
「東長」を命名した首相
第十九代内閣総理大臣
米騒動で倒れた寺内正毅内閣の後、立憲政友会総裁の原敬は、大正7年に内閣を組閣、首相として国政に尽くしました。ベルサイユ条約に調印し、国際連盟に加盟したのを はじめ、アメリカとの協調を軸とし、当時のアジア太平洋問題を協議するワシントン会議への参加など熱心に外交をすすめました。当時の瀬頭酒造当主は、政友会党員であったため首相と交流があり、大正9年、 長崎で海軍大演習が行われた折に原敬首相に招かれます。瀬頭酒造では、創業以来ずっと「丸平正宗」という銘柄で酒を作り続けていましたが、その年に法人化し株式会社になったのをきっかけに、新しい名前を 思案中でした。同席下のをきっかけに原敬首相に新しい名前を付けていただくようにお願いをしたところ、酔い心地のさわやかさ、おおらかさを「アズマの国のオサ、すなわち東洋の王者にふさわしい」とお褒めいただき、 「東長」という名を頂きました。以来、ずっと「東長」という名前を使い、その名に恥じぬよう、美味しいお酒を作り続けていいます。
ダグラス・マッカーサー
司令官が愛した「平和の酒」
アメリカ合衆国陸軍元帥 / GHQ総司令官
昭和20年、戦後混乱期の日本でGHQ総司令部主催によるパーティーが開催され、佐賀・有田の陶工である十二代酒井田柿右衛門も、招待されました。当時、東京は遠く離れた土地であり、情報も伝わってこないため、事情がよく分からず、柿右衛門は親交の深かった瀬頭平八のところへ立ち寄り、最後の酒になるかもしれないと、その晩二人は飲み明かしました。翌朝、道中用にと「東長」 を手に列車に乗りましたが、車中では飲みきれなかったのか、十二代は酒を持ったままGHQのパーティーに出席。それがマッカーサー元帥の目に留まります。そして、マッカーサーに気に入られた「東長」は GHQの指定商品になりました。 戦後、日本とアメリカの平和の象徴となった「東長」。マッカーサーを魅了した酒は、いまも変わらず、多くの人々に愛されています。